理屈っぽい人間は、だから、たいてい屈託を抱えている。「理屈っぽい」というのはただの性格ではない。それは理屈の向こうに「不幸」を見付けてしまったことの証左である。それは、その人間の処世術であり、不幸を御する作法でもある。理論武装などというとネガティブなイメージばかりが先行しがちだ。けれども、ぼくは「理屈」で飼殺すべき不幸はあると思う。「それは本当に不幸なのか?」と考えることはときに有効だ。意図して他者を貶めることで自分を守るような「理屈」をぼくは嫌悪する。けれども、不幸を相対化しうまく付き合うための「理屈」をぼくは愛する。 だから、不幸と戦おうともがく「理屈っぽい人間」が、ぼくは好きだ。
理屈っぽい人間は、だから、たいてい屈託を抱えている。「理屈っぽい」というのはただの性格ではない。それは理屈の向こうに「不幸」を見付けてしまったことの証左である。それは、その人間の処世術であり、不幸を御する作法でもある。理論武装などというとネガティブなイメージばかりが先行しがちだ。けれども、ぼくは「理屈」で飼殺すべき不幸はあると思う。「それは本当に不幸なのか?」と考えることはときに有効だ。意図して他者を貶めることで自分を守るような「理屈」をぼくは嫌悪する。けれども、不幸を相対化しうまく付き合うための「理屈」をぼくは愛する。 だから、不幸と戦おうともがく「理屈っぽい人間」が、ぼくは好きだ。