鳥類図鑑を探すため、鳥好きの友達と本屋に行く約束をした。
待ち合わせの場所は青山ブックセンターの図鑑コーナー。
しかし、時間を過ぎても友達は現れない。
すっぽかす人だとも思えない。いずれ現れるだろう。
気にせず、先に図鑑を探し始めた。
荒俣宏の図鑑『世界大博物図鑑』*が、それぞれの鳥の名前の由来なども記載してあり、
読み物としても面白そうだが、持ち帰るには重い。
ハンドブックタイプの鳥類図鑑と、ついでに蝶の写真集を2冊選ぶ。
それにしても遅い。約束の時間を30分も過ぎている。
店を間違えているのかもしれない。
都合が悪くなったのだろうか。
そういえば、友達は私の携帯電話の番号を知らないのだった。
(教えるのを忘れていた)
こちらから電話してみようかとも思ったけれど、電話はせずにそのまま待つことにした。
携帯電話を持つようになってから、時間が過ぎるとすぐに電話で連絡を取り合って、
どこにいる、とか、遅れる、とか、人は互いに説明しあう。
でも、どうしたのかな~、何かあったのかな~、なんて頭の半分で考えながら立ち読みをすることが、
私には、なんだかとても贅沢なことのように思えた。
私が学生の頃は携帯電話がなかったから、
こうして待ち合わせの場所で時間をつぶすのは誰にとってもよくあることだった。
待たされて腹を立てる人もいれば、全然気にしない人もいた。
そこにその人の性格を見ることができた。
私は待つのはそれほど苦にならないほうだった。
『葉で見わける樹木』*や、くもの巣の本をじっくり立ち読みしているうちに約束の時間から1時間近くたった。
私は、このまま帰りたいと思い始めていた。
このまま帰ってしまえば、私は約束をすっぽかされたことになるけれど、
そのことについて私が立腹するかといえば、そういうわけでもなく、
後々、相手が来ない間、どんなことを想像していたか教えあったり、
会えなくて残念だったねえ、なんていう、のんびりした会話ができるのだとすれば、
落ち合えずに帰るほうが、面白いやりとりが楽しめるような気がしたのだ。
迷った末、携帯持ってるのに電話しないで帰っちゃったと責められるのは、
結局、私のほうだよな、と思い、電話をかけた。
「いまどこにいるの?」と訊ねると、友達は六本木ツタヤにいると言う。
違うよ、待ち合わせは青山ブックセンターだよ!
友達が、電話の向こうから、こっちにすごくいい図鑑があるよ、4万円するけど、と教えてくれた。