去年の秋、知り合いがガンで死んだとき、
棺の中を覗き込みながら私が考えたのは、
「”いつか”とか”そのうち”とか言っているうちに人は死ぬんだなあ」ということだった。
大人になると、会話の中に、”いつか”とか”そのうち”という言葉が増えていく。
確かに、さらりと約束を翻すことも、翻された約束を軽く受け流すことも、スマートな社交の術(すべ)のひとつだと思うし、
私だって、いつか会おうね、モンゴルに遊びに行くね、とNとの会話の中で繰り返していたものの、
自分が本当にモンゴルの地に立つとは正直なところ思っていなかった。
行ってみたいなあ、行けたらいいなあ、ぐらいの、ふわふわした気持ちを口にしていただけだ。
(Nもきっと話半分に聞いていたと思う)
だけど、私はあの日、告別式の帰り道、仕事の上でのつきあいは仕方がないとしても、
せめて仕事を離れたところでは、”いつか”とか”そのうち”という言葉を多用する人とは、
つきあうのをやめると決めた。
そして、自分が撒き散らした”いつか”を少しずつ回収することにした。
だから、モンゴルがどこにあるのかもよくわからなかったし――というか、
Nが撮る写真(といっても、部屋の壁とか、水溜りとかそんなのばかりだったけど)でしかモンゴルのことは知らなかったけれど、
Nがモンゴルにいると知って、とにかく行かなくちゃ、と思ったのだ。
“いつか”を回収するのは大変。
面倒くさいしお金もかかる。
だけど、決心さえすれば、ピューンと飛行機に乗って一日で回収できる。
たった5日の休暇で回収できちゃう。
その、重いとも軽いとも言えぬ労力の重みが胸にもたれて、
私は窓の外の朝焼けを撮り続けてはいたけれど、本当は泣き出しそうだった。
人はあてのない約束をしたりされたりしながら生きていく。
でも、少なくともNは、私のことを、
「行く行く詐欺かと思ったら、あの人ホントにモンゴルまで来たのよ」
と言ってくれるのではなかろうか。