October 2, 2009

「なにか善いことをしているときは、
  ちょっと悪いことをしている、
  と思うくらいでいて、ちょうどいいんだよ」
 というのは、吉本隆明さんがよく言うことで、
 これは、ほんとうにそうなんだよなぁと思うんですよね。
 
 いいことというか、善行というようなものは、
 誰に恥じることもない「善いこと」に決まってるわけで、
 それをしているじぶんを強くしてくれたりします。
 そして、善いことをしているじぶんは、
 守られるべきだし、それをしていない人は
 悔あらためるべきであるというような気持ちに、
 とてもなりやすいんですよね。
 
 じぶんが、「善いこと」と思われることを、
 しようかなと思いついたときに、
 ぼくは「善は急げ」と考えないようにします。

 「善は待てよ?」と考えるようにします。
 ほんとに善なのか、誰にとって善なのか、
 善というイメージのなかに、じぶんの怪しい気持ち、
 功名心だとか虚栄心だとかを
 紛れ込ませてはいないだろうか。
 じぶんの生来のいい加減なところを、
 追いつめて息苦しくしてはいないだろうか。
 そんなことをしばらく疑います。
 で、「ま、いいか」と思えるようだったら、
 「ひとつの自分勝手なこと」として、やることにします。
 
 いろんな「善いこと」のお誘いを受けたりするのですが、
 そういうことのすべてについて、
 ちょっとまとめた考えを言ってみました。
 
・ぼくは、「善いことをする」よりも、
 「あたたかくする」「やわらかくする」「たのしくする」
 というようなことが、得意だし、やりたいことです。
 そういうことが、結果的に、
 「善いこと」につながってしまうのは、
 お恥ずかしいけれど、よかったかもしれない
 ‥‥というくらいのことです。

ほぼ日刊イトイ新聞/今日のダーリン