「なにか善いことをしているときは、
ちょっと悪いことをしている、
と思うくらいでいて、ちょうどいいんだよ」
というのは、吉本隆明さんがよく言うことで、
これは、ほんとうにそうなんだよなぁと思うんですよね。
いいことというか、善行というようなものは、
誰に恥じることもない「善いこと」に決まってるわけで、
それをしているじぶんを強くしてくれたりします。
そして、善いことをしているじぶんは、
守られるべきだし、それをしていない人は
悔あらためるべきであるというような気持ちに、
とてもなりやすいんですよね。
じぶんが、「善いこと」と思われることを、
しようかなと思いついたときに、
ぼくは「善は急げ」と考えないようにします。
「善は待てよ?」と考えるようにします。
ほんとに善なのか、誰にとって善なのか、
善というイメージのなかに、じぶんの怪しい気持ち、
功名心だとか虚栄心だとかを
紛れ込ませてはいないだろうか。
じぶんの生来のいい加減なところを、
追いつめて息苦しくしてはいないだろうか。
そんなことをしばらく疑います。
で、「ま、いいか」と思えるようだったら、
「ひとつの自分勝手なこと」として、やることにします。
いろんな「善いこと」のお誘いを受けたりするのですが、
そういうことのすべてについて、
ちょっとまとめた考えを言ってみました。
・ぼくは、「善いことをする」よりも、
「あたたかくする」「やわらかくする」「たのしくする」
というようなことが、得意だし、やりたいことです。
そういうことが、結果的に、
「善いこと」につながってしまうのは、
お恥ずかしいけれど、よかったかもしれない
‥‥というくらいのことです。